20260120 十二國記 很棒的觀劇感想

這篇感想真的太厲害了!!是原著粉、也是喜歡寶塚的粉絲

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原作勢が語る、ミュージカル「十二国記 月の影 影の海」:

二人一役で浮き上がる主題「わたしは、わたしだ」

「十二国記ミュージカル 月の影影の海」の特徴は、原作でも扱われているメインテーマの一つ「わたしはわたしだ」を舞台の主調音として浮き上がるように作りこまれていることだと思います。(これが原作との描き方の違いの一つでもあります。後述にて)

「中嶋陽子」という役柄、とても難しいものだったと思います。
 常世に来た陽子は、日本での女子高生の姿から「胎殻」を脱ぎ捨てて、鮮やかな赤い髪と翠の瞳のあるべき姿に戻る。柚香光さんが担う常世のヨウコが、整っていて観る者の目を奪う容姿であるのは誰が見ても分かります。もちろんこれは表層の話です。原作でも劇中でも、陽子は数々の艱難辛苦に直面し、そこでの精神の高低、身体状態が外見に反映されることになりますから、そうした場面では怒りや苦悶の表情を見せています。というよりも楽俊に出会うまでは、ずっとつらいことばかりですよね。それでも、姿かたちほどそのひとの内面を映し出すものはないでしょう。偶然美妙な造形で生まれただけではなく、己と対峙し、戦い、その果てに磨かれて内なる美に辿り着いたからこそ、景王陽子は輝いて見える。
 これは二人一役として、ヨウコを演じる柚香光さん、陽子役ならびに彼女の心である加藤梨里香さんという役者の皆様自身についてもきっと同様のことが言えるのではないか、という印象を受ける三時間でした。綺羅星のような役者の皆様は、どれほどの鍛錬や研鑽を積んでステージに立たれたのだろう。素人でもそう感じられる方々が表裏一体に、中嶋陽子を演じてくださったことが、原作ファンはとても嬉しいです。

 ミュージカルでは陽子の心象を演劇に起こすために、「日本の女子高生」を加藤さんが、「常世での赤い髪と緑の目のヨウコ」を柚香さんが担う、二人一役で進行します。パンフレットによれば、音楽に関しては加藤さんは心の叫びを歌い、柚香さんは自分を説くよう低音で歌い上げているそうです。
 柚香さんと加藤さん、二人共を双眼鏡で追わなければならない幸せな忙しさの中で、ミュージカルはどんどん進んでいきます。
 柚香さんの演じる陽子は、最初の頃から何もかも変わっている。(柚香さんご自身は既に王気を備えているような風格があるのに、その過程を丁寧に演じているのが嬉しくなりました。)表情、妖魔の襲撃に対処する速度、他者への警戒、外界に対して覚悟を決めたことで柔らかくなり、けれど彼女には、人とは違うと思わせる光輝があるのです。それに吸い寄せられるように私はお二方を必死で追って、気づけば華やかな柚香さんの所作と、加藤さんの表情に釘付けになり、とりわけ後半は細かく双眼鏡で表情を見ていました。

・第一幕の最後、日輪を背景に陽子とヨウコが手を取り合う場面。
・出陣するヨウコに武具をつけて支度を手伝う陽子。その顔はどこか晴れやかな印象を受けました。
・玉座について話をするヨウコと楽俊。それを見守るように優しく穏やかに二人を見ている陽子。俯瞰しているようで、でも紛れもなく彼女自身でもある加藤さんの陽子。

 加藤さんの表情と、柚香さんの振る舞いでよく覚えているシーンがあります。
 慶での舒栄との戦いで妖魔や人を斬り、薙ぎ倒す陽子。視界を塗り替えるような鮮やかな血飛沫の赤。それに陽子の赤い髪が映えて、すっかり冗祐と息の合った剣さばきを見せる。柚香さんの殺陣の真骨頂でしょう。でもそのとき、加藤さんの陽子は、今にも泣き出しそうな、ひどく痛そうな顔をしていたような気がするのです。これが表しているのは、陽子からヨウコに、加藤さんから柚香さんに姿かたちが変わっても、青猿が消えても、蓬莱の陽子が完全に消え去ることはないということだと思っています。二人一役の形式でありながら、陽子とヨウコの連続性を強く感じる。私たちが知っていて、この十二国記という作品で誰より我々に近い陽子は、王としての覇気を纏うヨウコの中に永遠にあるのだと改めて思いました。それをステージで表現されていたことに、カンパニーの十二国記原作への敬意を強く感じました。

柚香光さんの「ヨウコ」(と「桜真風の王」)

 宝塚が好きです。(私はカイさんで宝塚に出会いました)なので柚香さんがヨウコを演じる、という配役を知ったときから、私の中で期待がどうしようもないほど膨れ上がっていたのを覚えています。

 柚香光さん。
 加藤梨里香さん。

 お二方に共通して感じたのは、それぞれのキャラクターと役者とが一体になり、「陽子」と「ヨウコ」という一つの命として呼吸をしていたことです。何を当たり前なことを、と思う人もいるでしょう。一方で、原作を読んでいた人なら共感していただけるかもしれませんが、あの景王陽子を生身の役者が演じるなんて、どこまで再現できるの?と不安があったのも事実でした。完全に杞憂でしたね。
 自分に自信がない地味な女子高生。そんな陽子が異世界に投げ込まれて、裏切られ、孤軍で戦い続け、己を直視し、今まで知り得なかった肉体的、精神的、時に道徳的などん底を見ることになる。そうして慶国三百万の民を背負う女王として成長――正直「成長」という言葉が実情にそぐわずおかしく思えるほど、世界と己との過酷な対峙を経て、変化を遂げます。
 十二国記の「風の海 迷宮の岸」で、こんな一説があります。

「古今東西、醜い王が立ったためしがあるものか」
(※仏語翻訳版しか手元にないためちょっと表現が違うかも)

 陽子は原作でも端麗な容姿を持つ、とそこまで直接的には示されないものの、(作中ではっきり美形と表現されているのは、名前の通り玲瓏たる美しい祥瓊、泰麒の目線できれいと評された李斎、偉丈夫と書かれた尚隆や霜元などかなと思います。十二国記は人物の容姿に係る描写が少ないです)彼女の姿かたちが目を引くものであることは作中で言及されています。

 誠実さを宿した翠の瞳、輝くような赤い髪、王が持つ周囲を圧倒するような覇気、それらの源流である力強い意志の煌めき。

 特にシリーズ四作目の「風の万里 黎明の空」の陽子は、本当にまばゆいばかりの覇気を纏っているように思います。(ミュージカル終盤の柚香さん演じるヨウコは既にその片鱗を宿しているかのようでしたが……!)偽王舒栄との対決、その過程の中で陽子は本来景王に守られるべき民を自らの手で斬ることになります。王でありながらもまだ十六歳の少女が見せる苦悩、意志の力による凛とした美しさ、悲壮ですらある孤高な覚悟の思いを、柚香さんは原作へのリスペクトを感じさせる形で体現していたように感じます。
 元花組トップスター、低く響く凛とした声も印象深いものでした。他に、個人的によく覚えているのが柚香さんの視線です。目を凝らして、食い入るような鋭い視線もあれば、急にふっと優しいまなざしになる。そんなふうにはっとさせられる瞬間がいくつもありました。容姿や振る舞いだけではなくて、ヨウコの視線や雰囲気、戦袍の裾にいたる小物の細部までも巧みに操って表現しようとする演技からは、小野不由美先生の世界を本当に丁寧に探究されたんだなと思います。そんな方だからこそ、柚香光さんが演じるという前提で当て書きされた箇所も多いのでしょう。

 また、絶対に書きたかったのは、柚香さんの身体表現の凄まじさです。そもそも手と脚が長すぎるというプロポーションの奇跡。加えて、細くしなやかでありながらものすごい筋肉の身体から繰り出される殺陣。こう文章で伝わらないのがもどかしいのですが、もう何が何だかよく分からないほどの突き詰められた技巧でした。舞台の柚香さん、俊敏なはずの動きを、敢えて観客がついていけるようにゆっくりと見せている……!(表現が下手で伝わらないですね、悲しい)速度の妙、速いのにスローモーション、卓越した技術の粋を目の当たりにしたかと思えば、序盤のヨウコの動きです。ヨウコは冗祐の力で剣を操ることはできるけれど、不自然に身体だけが戸惑い躊躇う精神を凌駕して動く訳です。柚香さんはそのぎこちなさ、内面の相克を驚くほど表現されていて。
 特に印象に残っているシーンがあります。倒れ伏したヨウコの掌を、塙麟が「お許しください」と言って剣で貫き、柚香さんが苦悶の表情で剣を抜く一連の場面です。手の甲が剣で串刺しになっているため、ひとつ自重のかけ方、引き抜く動作を誤ると、下手すれば掌がざっくり裂けてしまう訳ですよね。その緊張感と恐怖、不条理への怒り、それらすべての感情を凌ぐ痛みがものすごく柚香さんから伝わってきました。双眼鏡で見ていたのですが、柚香さんの表情が本当に本当に苦しそうで痛そうで、見ている私の方が痛くて痛くてたまらなくなりました。それなのに引き抜く所作がまた美しくて、傷だらけの白鳥を見ているような気持ちになりました。
 私はバレエが好きで、パリオペやロイヤルバレエを鑑賞したことがありますが、しなやかさや気品など、柚香さんの表現はバレリーナの芸術を思わせるものがあります。指先から足先までの繊細さもそうですが、何と言うのでしょう、本当に名状しがたいですがそういう印象を受けたのですよね。(宝塚歌劇団だから当然では?と言われればそうなのですが……)

 ミュージカルのパンフレットも読みました。随所随所で柚香さんのお人柄が文章や言葉選びから伝わってきました。また2019年トップスター就任ということは(ちょうどパンフレットの柚香さんの紹介欄にちらっと書いてあったのですが)、ちょうどコロナウイルスで演劇界が大変だった頃に、責任ある立場で何人ものタカラジェンヌの方々を率いていたということだと思います。役者とキャラクターの為人が一致していてほしいなどは勿論決して言いませんが、陽子という実直で誠実な役柄は、そんな素敵な方に演じていただけたらきっといいのではと思っていた時期もあったものです。とにかく、配役がとても良い。

 そして!!本当に最後に、これだけ語らせてください。
「久遠の庭」の装いで舞う柚香さん。本当に本当に良かった……!陽子は月の影影の海だけでもあれほど苦労して、その後も一筋縄ではいかない遠大で長い長い旅路を進んでいきます。その陽子が、こんなに美しく花が綻ぶように笑って、夢のように舞っている。陽子がこんな風に幸せそうだ、ということに彼女の舞台上での困難を思って私は感情が言葉になりませんでした。そして、そのとき思い出したことがあります。
 十二国記の原作では、王を風に例える場面があります。私は以前、それに倣って景王陽子を風になぞらえるとしたら、「桜真風」ではないかという投稿をしました。

 私個人の感想で大変恐縮ですが、この柚香さんを見て、私は陽子はやっぱり桜真風の王だと思ったのです。麗らかな春に注ぐ陽光。柚香さんを見ている間、現実の季節も時間も忘れたような心地でした。
 観劇後の今も、柚香光さんが陽子の姿を演じてくださって本当に良かった、と思います。「風の万里 黎明の空」のミュージカルで、またお会いできるのを楽しみにしています。

加藤梨里香さんの「陽子」(と十二国記における「水」の表象)

 終始、紛れもなく加藤さんの歌声が舞台「月の影 影の海」という世界のダイナモだったなとしみじみ噛み締めています。なぜならあの物語は陽子の内面をずっと描いていて、劇中で加藤さんは蓬莱のごく普通の学生の陽子で、そして前述のとおり、常世での彼女の心、魂、精神、意識を再現し、呈示する役割を担うからです。
 
 観劇された方なら皆さま頷いてくれると思いますが、加藤さんの歌は本当に本当に素晴らしかった。ミュージカルとは本当にすごい芸術で、十二国記はこんな素晴らしい方に演じてもらえる作品なのだ、とその歌声でようやく再認識したのです。柚香さんを当て書きしたかのような脚本と演出と前述しましたが、それは加藤さんの存在があって初めてできた決断だったのではないでしょうか。この方以外に、陽子の心を任せるなんて考えられない。原作ファンならいっそう、また誰しも共感していただけるのではと思います。
 加藤梨里香さん。可憐で綺麗で、弱さも強さもあって、そして陽子の芯を確かに感じる。柚香さんが低く重厚な声でステージを支配するなら、加藤さんの声は音域の広さ(高低わりと激しめ)に加えて、ぱっと後光が差すかのような美しい高音で劇場を魅了する。
 加藤さんの声で私が印象的だったのは「揺らぎの表現」「ステージをぶん回すかのような迫力」でした。この二つは陽子を演じるのに必要不可欠な要素だと思います。

 中嶋陽子そのひとの稟質として「迷い悩む心の揺らぎ」は私にとって印象深いものです。 陽子は十六歳の女子高生で、多感で揺らぐ年頃というのもそうですが、陽子は「揺らぐ」流体の水と縁の深いキャラクターでもあると思っています。
 陽子は虚海を超えて景麒に連れてこられ、「海客」として世界を彷徨います。彼女の持つ慶国秘蔵の宝重の名は「水禺刀」と言って水の名を冠し、陽子が行き倒れて楽俊と出会ったとき、もう起き上がることもできない身体に雨が糸のように降り注ぐ。姿かたちを変えて陽子に憑依し、共に旅をする使令の冗祐。妖魔と交戦して浴びた返り血。以前素敵な投稿を見かけて引用したのですが、陽子が主となる王宮は「金波宮」という名前です。これはさざめく波に太陽が映ってまるで黄金の道のように見える、という情景そのままではないのでしょうか。

 そんなわけで、私は水の落ちる音が劇中でもきちんと表現されていたのが本当に嬉しかったです。虚海を越えて日本と常世が接続する十二国記の世界では、海や水はまさしくあわいを指します。海客の松山老人は呉の軍港で海に落ちて、巧に流れ着きました。
 加藤さんの歌声は、そんな陽子の多感な感性や、裏切られて追いつめられる彼女の感情を本当に丁寧に表現されていると思いました。加藤さんの歌で何度泣きそうになったか分かりません。陽子の心の揺らぎを声で表し、そして前述のとおり表情としても表現し。
 序盤の「陽子」と名前を呼ぶ悪夢、戸惑いに揺れる景麒との邂逅、望郷の念、生きなければという決意、他者を信じてよいかという疑念、至らなさと重責に苦悩する心、己を受け入れて「許す」と再び口にするまでの感情の軌跡。
 この「軌跡」を巧みに表現していたのが加藤さんの凄まじさです。世界を――日生劇場で言うならステージを包み込んで、鋭く美しく響き、時に哀感溢れる声で揺さぶる。透明感があって、でも確かな力強さが陽子にぴったりな声だなと素人ながらしみじみ思いました。

 そして加藤さんの声の迫力!ステージ全体を引っ張り、ぶん回すかのような引力は、テキストではとても伝わらないのが残念です。声量、情感たっぷりの表現に終始圧倒されました。私は陽子があの過酷な世界を生き抜けたのは、彼女が蓬莱で過ごした十六年分の人生が多かれ少なかれ関係していると思っています。ですから、まるで舞台全体を強く支える梁のように響き渡り、また時に柚香さんの低音と重なる加藤さんの高音が本当に好きです。加藤さんの声は、まさしくあの極限状況を支えた一つが「蓬莱で陽子が生きていた時間」であることを表現しているように思えて嬉しかったです。
 陽子の美しさは彼女の内面に大きく由来するものです。そして私は、その陽子の心は加藤さんだからこそ表現ができたのだと自分の中で納得しています。柚香光さんがヨウコを演じる、ということに説得力を賦与したのは、絶対に加藤さんとその歌声だったと思っています。無論逆も然りです。
 
 原作で、他にも陽子が登場する話はいくつもあります。もし十二国記のミュージカルに続編があるのなら、加藤さんに引き続き出演していただけたら本当に本当に嬉しいです。祥瓊とか、蘭玉とか、それか蓉可とかどうでしょうか。陽子の内面は、本作ほど明瞭に蒼猿や陽子の内なる声の形をとって描かれるわけではないですが、彼女が後悔、葛藤、逡巡を大事に抱えるキャラクターだということは作品を通じて一貫しています。十二国記の世界で、舞台で、私はまた加藤さんを見てみたいのです。

蒼猿の名演

 蒼猿について。
 舞台で見た「蒼猿」があまりにも良かったので忘れないように書き留めたいと思います。 私にとって、原作をそのままミュージカル化した度を点数化した場合、一番数値が高くなるのは正直蒼猿です。
 フォークロア調の妖しい音楽と、蒼猿を一人ではなくてアンサンブルのキャストの方々も演じてまるで分裂しているかのよう、という解釈、幻を表現する手法に頷きすぎて大変でした。俳優の玉城裕規さんの怪演、すごかったです。「痛みなら一瞬さ」というルプリーズの見事さ。「次はとどめを刺すんだぜ」ときゃらきゃら笑う幻影。私は常々、蒼猿とは魅力的でなければならないと思っていました。彼は陽子の敵か、というとそれはやはり違うのですよね。蒼猿の一見おぞましい言葉には、魅惑の一閃が確かに存在します。なぜならそれは「こちらを信じたほうがいいのではないか」、最悪を想定してすり減った陽子の「こうであってほしい」など、さまざまな思いの顕現でもあるから。そんな蒼猿を、原作ファンが思い描いていた以上に「蒼猿」として表現してくださった玉城さん、制作陣の皆様、ありがとうございました。

原作勢が今回のミュージカル化について思うこと

 ここまで読んでいただけた方にはもう言うまでもないと思いますが、私はミュージカル「十二国記 月の影影の海」を観られて本当に良かったと思っています。素晴らしいミュージカルでした。
 まず上映時間が三時間十五分という長さにも、カンパニーの原作へのリスペクトを感じました。通常であればミュージカルは二時間四、五十分ですから、それだけの長さをかけてできる限り丁寧に、原作の要素を盛り込んでくださったことが嬉しいです。演出を担当された山田さんは、パンフレットで原作の上下二巻をミュージカルに収めるために省略されたエピソードや設定も少なくない、と書いていらっしゃいますが、やはりその後ご自身で続けられたように、陽子の過酷な旅路を描くのに不可欠な要素は残している、という認識とのこと。関係者の皆様、本当にありがとうございました。

 もちろん原作があまりにも名作なので、時間さえ許せば、ミュージカルである以上あり得ないですが、あれもこれも書いてほしかったエピソードはあります。そうでなくとも、原作は細部に至るまで「これが舞台で観たかった」の連続です……!!

 また原作とミュージカルの大きな違いの一つは、ミュージカルでは取り扱うテーマが「わたしは、わたしだ」に集約されていることでしょう。原作では、下巻の中盤で既にその主題は一つの帰着を見せ、「わたしは至らない、そんな私が王となって数多の民を背負っていいのか」というまた違うテーマに移ってもなお陽子の苦悩が見えるのです。
 そんな中で、私がものすごく納得した、ミュージカルと原作の関係性の捉え方があります。

「朱旌の芝居」としてミュージカルをとらえる

 さて、十二国記の世界には、朱旌(しゅせい)と呼ばれる流浪の民がいます。彼らの中には世界各地を旅する中で、人々に「各国の王の登極に至るまでの物語」を語る旅芸人として生計を立てるものも多い。このミュージカルとは、まさしく朱旌の民が陽子の登極までの物語である「月の影 影の海」を、市井の民=我々観客に語っている、そうした十二国記の世界の再現なのだと思っています。
 ですから、陽子と楽俊のより親しい会話がない、陽子の苦難をもう少し書いてほしい、主題は一つに絞るべきではない、などあるかもしれません。けれど、それはより個人のintimateな会話や心のモノローグであり、ミュージカルを朱旌が語る一幕と考えれば、通説を扱う歴史娯楽ではそのような細部まで語られないことも不思議ではありません。

 なお、この解釈は私のオリジナルではありません。十二国記がミュージカルとなる、という報が出た際、「ミュージカルは不安だ」という原作ファンに提示された、一つのポジティブなミュージカルの捉え方です。私はこの見方に大いに賛同します。(当時ものすごく話題になったどなたかの投稿があったのですが、今探してみても見つからず……すみません!)今こうして観劇後にこの解釈を振り返ると、また違う見方ができる方もいるかもしれないと思い、取り上げさせていただきました。

後書き

 今回のミュージカル化をきっかけに、小野不由美先生の作品が新しく読者を獲得したこと、原作勢としてこの上なく嬉しいです。こと私も宝塚を愛する者の一人として、「原作を知らなければ履修するのが宝塚ファンの伝統」に倣い、事前に小説を読んだミュージカルを愛する方々が素晴らしいと思いますし、SNSを見る限り一定数いることが誇らしく思います。
 今回のミュージカルは、絶対に事前に知識を入れた方が楽しめる類のものです。というか、未読の方が劇場で世界観含め設定を理解する、あまつさえ物語を楽しむのは不可能に近いと思いますので、まだの方は上下巻セットで「月の影 影の海」を読んでみてください。こちらが読み終わっている方は、陽子の物語を追いかけて「風の万里 黎明の空」を読むもよし、執筆順に「風の海 迷宮の岸」を読むもよしです。十二国記というシリーズ作品の長さにしり込みせずに手に取って読み終えたすべての方に、「十二国記を読んで内容を知っている」に加えて、更なる良いことがありますよう。

 今回のミュージカル化のお蔭で、柚香光さん、加藤梨里香さんをはじめ、私は数々の素敵な出会いに恵まれました。ミュージカルに関わったすべての方に幸あらんことを、また、更なる続報があることを祈ります。

The End

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